棒体術講習会レポート □ 2005年1月23日 □

去る1月23日、阿吽会では棒体術の講習会が行われました。 今回のテーマは棒を通しての身体創作及び力の運用・伝達の理解でした。 棒での鍛錬は初めての方が多く、戸惑いもあるかと思いましたが、そんな心配など必要なかったかのように参加した皆さんはすぐにそれぞれの鍛錬の意味を理解していました。当日は粉雪の舞う寒い日にもかかわらず、半そでで練習するほど熱気にあふれた講習会となりました。

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十字の軸を感じながら体全体で動きます。棒を中心に身体の体変更(たいへんこう)。

【リポート1】棒体術講習会に参加してみて

はじめに
いくつかの形を教わりましたが、印象に残ったものを書きます。
バランス歩法
いつもであれば自然と手が下がり、知らず知らず体が楽をしてしまうのですが、今日ばかりは強制的にまっすぐになります。しかしそのまま棒に頼っていると体が動かず、特に左右に広げている上肢を上下に転換することが難しかったです。
発動
棒がなければ体を必要以上にねじりがちですが、棒があるために正面までしか動けません。体重移動がうまくいかないため、つい手の力のみになってしまい難しかったです。足と手の動きがあってないためと思いますが、うまくいかないと棒が左右上下にぶれたり、速度が変わるのでわかりやすいです。
体振り
腰につけた後ろの手を支点とするので振り下ろしはなんとなく出来るのですが、振り上げはかなり難しかったです。支点の位置がよくわかりませんでした。
対練
「力をいれない」「力を入れる」という力に対する概念が体感によって変わりました。単に抜くだけでは子供以下になってしまい、また力を手に伝えることが出来ません。結局、腕の力で踏ん張ったのですが、翌週まで筋肉痛が取れないほどでした。入力出力に関しては残念ながら感じる余裕がありませんでした。
おわりに
棒を使うと動きが増幅されるような気がします。へたはへたなりに増幅され、視覚的にも分かりやすいと思います。普段は練習できないのですが、機会を見つけて棒を使ってみようとおもいます。
鎌田真隆(阿吽会武術クラス)

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(写真上段)重心移動及び各部位の螺旋状の伝達を学びます。(写真下段)実際突いてみて体のつながり等を体感します

【リポート2】棒術講習会リポート

棒を通じて素手の練習に出た課題を新しい面から味わわせてあげるのが、阿久澤先生の目的だと思う。 棒も素手も結局概念が同一だから、両方鍛錬すると相乗効果で(それまで気付かなかった事に)閃き、気付いた事によってさらに微調整する機会が増えるだろう。確かに棒を握りながら感じた感覚が素手練習に役に立つ。 例えば「バランス歩法」で鍛える「十字」意識;棒できれいに立円を描くのはなかなか難しくて、特に痙攣するほど肩甲骨に力を入れたままで行うので緊張を継続します。しかし棒が曲がらないからそれで「軸」を実感でき両腕の繋がりの意味がもっとわかったという気がします。 他の概念も棒ですぐわかる。緊張し過ぎると力が停滞し、相手に響かずにこっちに戻って、自分のバランスが崩れてしまう。素手でやると、ある程度その戻った力をまた利用する事が何となくできる。膝をもっと曲げたり、片腕を緩めたり、ベクトルを変えたりすると相手によく効くけど、阿久澤先生は「それは枝葉」だと言う。 最終的に目指しているのはテクニックではなくて、根本的な「体作り」である。

「体が出来ていない」とよく阿久澤先生に言われる。正にその通りです。では、「体が出来ている」というのは何でしょうか。 私の解釈で、まず「前後・上下・左右」の意識で、体が同時に四方八方に行こうとしている状態を作らなければならない。緊張と緩みの間の「張り」、丹田から体全体に「膨張」と「収縮」みたいな感じが求められる。それに常に「十字」意識で「軸」と「上下の繋がり」を保ちながら、更にもっと細かく「繋がり」を達成しなければいけない。例えば足から手に、それとも右の小指から左の小指まで。

それが出来ると、発力する時に体の各部位が繋がった状態で動くから無駄がなく、停滞もない。そこで「入力と出力」という意味が初めて繋がってくる。 「力の伝達」の練習では「手首からしか発動しない」と言われても戸惑う。しかも、阿久澤先生と接触するとその戸惑いを実感として感じる;「何か」が違うというのはすぐ理解できる。その「何か」を掴むには基本をやるしかない。数をこなすしか。 ありがたいことで阿久澤先生がよくフィードバックをしてくれる。最終的には個人でしか理解と微調整できないと阿久澤先生は常々言っている。単なる「教える」ではなくて、生徒に考えさせるのは、いい先生の役割であると思います。

基本をやりながら考えて、調整して、新しいやり方を試すことが重要。仲間がいるから「切磋琢磨」出来て、新しい方法をすぐ試せる。たまには力と力のぶつかり合いになってしまいますが、それでまた阿久澤先生が気づかせてくれます。とにかく訓練の範囲で「力を使う」=「悪い」というわけではない。最終的に「中庸」が理想だが、それを達成するにはわざと過剰に「剛」で練習することもある。両極端を知らないままでは中庸の意味がわからないはず。 これから講習会で教えてもらったぞれぞれの訓練を繰り返し行うことで、棒を通じて体術訓練のいい付加になるに違いないでしょう。

ファブロ・ジェラルド(阿吽会武術クラス)

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さらに力の運用を利用し2人組になって、自由に崩しあいます。